ブログ的特徴


 キーワードでいろんなブログに飛んでみた。私のは内容的になにがしかのヲタさんの元に飛ぶ事が多いのだが(てかブログつける人自体、少なくともパソに慣れてないと無理か)、確かに時々、妙に深かったり面白い記事があるんやねぇ。




 ここ一年で、自分も失恋したり周りがいっぱい失恋してたりで、今までに増して恋愛とは?と考えるのが多くなった訳です。人により方向性やスピードやのスタイル異なるのだし、無意味につっこんではいかんねぇ。と暫し反省…。暗黙の了解は確かに甘えなのかもしれない。私は、媒体はもっとしっかりしなければ。もっと考えて行動しなければ。




 ブログサーフィンの話。私も周りも、どちらかと言うと、人間的観を主流としてるように思う。別に分割せんでもいいんだろうけど、キーワードで飛んだ先のブログ読んで閃いた。噂でよくいる、「女は何考えているのか分からない」系の人だ!内面沢山書いてあるけどやっぱ良くわかんねぇ!




 「良い人なんだけど…」という台詞は女の子側からの捨てぜりふとして有名ですが、その「…」の先までしっかり書いてありました。



「良い人なんだけど、それだけなんだよねぇ」




 そうか。


 なるほど。



 男の子が好きだ、という概念と、その人が好きだ、という概念には天と地位の隔たりがある。男の子しか好きになれない人に限って自分偉そうなのは何でだろう?確かに比較対象は自分しかあり得ないけど、そこまで自分の生き方に自信持てるのはある意味才能だな。個性としての違いはあれど優劣に結びつけるのは飛躍しすぎ。日常的に類似動作が多いという事だろう。


 生物学的に、私たちの最も強い目的は子孫を繁栄する形で残す事。進化の過程で新しいヒトは一個体のみでは子孫が残せない。恋愛関係の根本はどうしたってそこ。…そこだけ先走っていやしないか?いや、そんな事はない、と現象のみ見て否定するのは容易。言ってしまえば誰よりも恋に恋してる、という事。相手見ずに性別だけで見る目の何かが変わってしまう。そして幻滅と共に感情が冷めるのは、それだけ現実でない物を勝手に打ち立てていたからだ。生身の人間に白馬をあてがっていたからだ。



 男性に良く求められる形、理想を追求する姿勢、は大切だ。でもどうなんだろう。そういう人と一緒に歩きたいんだ、なんて思ってもね、一人だって時間によってあるく速度違うのに。日常生活の中で等速運動してみろよ。ましてや複数の人間が足並み揃えるなんて拷問だ。



 共に生きるのはイコールになるのを目指す事ではない。空気のように、水のようになれる事。川の流れは元の水を保たない。しかし常にそこにある。




 幸せの形は人によって違うの、分かってはいるのだけど、ねぇ。でもやっぱ私は、むしろそれだけの人である方が、嫌だ。