希望とかそういう淡い儚いものは
大人になるにしたがい色あせ形変えてゆくけれど
現実とか非現実とか、大人とか子供とか言う前に、
なんで聖フランチェスコの生き方に胸を打たれるのだろう
なぜ異国のために生きたマザーテレサに心の奥底で抱くのは強い憧憬なのだろう
私はそこに理由を見いださない事を答えとしたのですよ。
誰かをあいするとか、
あれをしたい、これをしたい、それら全てに理由がある訳ではない。
頭では無理だと分かってても、どこかで、そんな風に生きる人の抱えたろう暖かさを、厳しさを、少しでも感じられたら。それらに理由はない。なくても良い。
現実的ではない?
私は臨床検査技師になる。
いったいどこまでが本心で、どこからがただの現実逃避なのか。
日本の至る所をまわりました。夏は辛い暑さを山で感じました。満足に暖房の届かない、体中が痛い冬も体験しました。
雪は、ちりちりと皮膚を浸透して、張り詰めた空気を生み出したその原色の強さを宿したまま、はるか天上に続く薄寒い空の色を迎え入れていた。
しんと静まり返った家の中。ぼそぼそとつぶやくようにはなす雪国の人のしずけさ。現実的ではない。けれども。
都会の雑踏に紛れ、日々の忙しさに埋没し、電車の時間だけを気にし、そんな毎日はいつか出会った全く違う光景を呼び起こす。見るべき場所はここではないのだと促す。
現実的ではない。
だけど、それで良い。
人が好きだ。
様々な命が好きだ。
たくさんの物事を学ばなきゃいけないのは、それらに近づきたいから。ただ、純粋に、一生をかけてでも、やり遂げたいものは一つ。
マザーテレサが出来た事は、私には出来ない。
ダライ・ラマが理想とする世界の構築に対して、何かを成し遂げるなど出来る訳もない。
だけど、彼らが愛した人々は、土地は、形は違えど誰にだって開けてる。
遠藤周作さんは、きっと人が好きだった人だ。どうしたって向き合ってしまった末にそれを承諾した人だ。
世界遺産は、一つの国が平和で、かつ文明や広がる自然に愛を持っていないと、維持出来ないのです。
内戦で混乱状態になった政府にも活動団体にも、遺産を守れるだけの力はない。密猟が増え遺跡は破壊される。そんな状態の国に生きる人々は、大抵飢え疫病に苦しみ、憎しみの中死んでいく。
人を、人が作った文化を守りたいと思う事。自然をそこに住む動物を、自己満足的にではなく本当に大切に思う事。それらは感情の基本的な部分だと思うのです。友達を大切にする。家族を、家族になる人を守りたいと思う。同じ物なのです。
宮沢賢治の言ってた世界が、私の夢だった。願いだった。余りに強い願いだった。
私も表現者でありたい。
偽善者か。夢を持ってはならないのか。ただの現実逃避か。答えはすぐに出さなくとも良い。
多分、それが世界の真実。