今はなつかしいが信大のT教授を思い出す。今の大学で成績発表があったからかもしれない。通常はハンコなのに不可はなぜか手書き、という訳のわからなさに微笑ましいものを感じつつ。

彼女の厳しさには理由がなかった。あるのは各人に対する侮蔑と一部への過剰な期待。それから満足感。昨日言った言葉は今日になれば覆された。何者よりも優位に立ち、時折権力を振りかざしては君臨した。


私のレポートもテストも散々な結果をはじき出していたが、当時比較対象の出来ない私には、自分の文章がどうであったかなんて判断出来なかった。自分の意見はある程度取り入れたつもりだったが、丸写しで自分の意見が皆無だ、と断定されては返す言葉も無かった。ただ差別された可能性だけは大いにあった。


私の文章構成や意見の量は、どうやら全く問題なかった事が今更になって判明した。ではあれは何だったのか。丸写しと言い放たれ挙げ句呼び出しまでうけていた私は何だったのか。こんな文章、こんな小娘が書けるわけないという偏見が、何より働いていたのではないのか。


元よりただの生徒には何の力もない。教授に暴力をふるわれても避けようもない。セクハラ等分かりやすい概念ならいざ知らず、ねちねちとした嫌がらせには対象するも何もない。でも少なくとも大学とはこんなものじゃないはずだ。学門はこんなんではないはずだ。環境を整えるという意味では責任は大学自体が持つしかない。


このままじゃ、やばいんでない?野放しにしてていいのかな?