優しさって怖いぞ

最近特に良く思うのだけど、自分は他人に対して優しい。優しくしている。と自信持っちゃってる人に限って、誰かを容赦無く傷つけてる場合が多い気がする。善意でやってるんだろうが分かる人から見れば傷つくのは一目瞭然の事を平気でやってのけ、傷ついた相手との関係が崩壊した後で首をひねっている。思い返せば高校時代、偽善の塊の子に、やはり本人的には善意だったのだろうが一刀両断され、私は立ち直れないまま絶交した。多分本人から見れば未だ何がいけなかったのか、分からないままだろう。



質を問題にしなければ、優しい人ってのは腐る程いる世の中だ。優しさは想像力なんて良くできた言葉だけど本当の事ですよ。無理に相手に優しくしようとすると想像力で補えない部分で酷い事平気で言っちゃう。それから自分の手にかかればどんな人でも幸せになれるなんて妄想も、平気で語れちゃう。



主な例がボランティア。野心に燃えながら始めた人に限って二度と戻っては来ないそうだ。自分の理想と、何もできない現実とのギャップに負けたのだろう。途上国医療のボランティアなんか、何もできない現実なんてむしろ当たり前で、何度も挫折経験しへこみながらも再び途上国に渡っていく人々を見ると、彼らは兎に角苦しむ人々の元へ赴きたいのだろう。何もできないかもしれないけれど、それでも側で何かしたいのだろう。何かなしとげた自分への野心等存在せず、だから彼らのボランティアは成り立つのだ。



マザーテレサのこんな話がある。日本の人はとても優しい人が多いのだけどね。死を待つ人の家、のボランティアにやってきた女性二人。患者さんを見て、かわいそう、かわいそう、と泣き続けている。泣くだけで何もしない。水をかえる事も、包帯を新しくする事も、手を握ってあげる事も、何も思いつかない。つまり目の前の人がどうしてほしいのかなんて彼女達の問題じゃなかった。

 マザーは彼女達を日本に帰したそうです。



 自分はどうなんだろう?と考えると何だか恐ろしくもなるけど、基本的にあんま考えずに生きてる気がするなぁ。ただあったかい人と出会うととても嬉しい。あったかい人ってのは不思議な生き物で、側にいるだけで何だか穏やかになれます。やっぱ優しさ振りかざしたりなんかしないよ、そういう人々は。



あったかい人好きだなぁ。