北見の話


北海道は特に内陸部が寂しかった。札幌に来るとほっとした。普通の人々による普通の日常。当たり前の事なんだろうけど、札幌以外では何かが欠如していた。殊旭川から北見における風景の荘厳加減が甚だしかった。

 帯広に向かう手前、北見で一泊したのだが、その夜は二人しておかしくなった。振り返れば一日中泣きたい気分だったし、それは北海道の手つかずの自然のせいだろう、それが自分にも映っていたのだろう、と勝手に解釈していたのだが。


 後程、Mさんからトンネルの話を聞いてびっくりしたのだが、あそこらへんにはね、日本国内で唯一、人柱の存在が認証されてしまったトンネルがあるのですよ。常紋トンネルと言って、調べてみる所によるとかなり有名な心霊スポットらしい。北海道の開拓の歴史の中に、無くてはならない存在だったタコ部屋、負の遺産。北海道の鉄道や道路が開通されたその裏には、そういう「タコ」と呼ばれた使い捨て労働者の存在があったのだね。彼らは囚人だったり、騙されて安く売り買いされていた人達で、全くの人権無視した酷い扱いを受けていた。食事も休息もろくに与えられず、衰弱した者に宛がわれるのは医者ではなく死。しかもその死は容赦なく襲ってきた。仲間によるトロッコを用いた生き埋め、スコップで頭を叩き割り、見せしめの為に人柱にする。
 そういう事が遙か昔ではあるけど、日常茶飯事に繰り広げられていたのだ。私達が何気なく通った線路に沿って、延々と。


 北見から網走にかけての網走道路という場所も、通称囚人道路と呼ばれている歴史が存在する。思えば、北海道出身のプロレタリア作家、小林多喜二の「蟹工船」も、海上版タコ部屋の話だった。政府が強行した囚人労働はタコ部屋制度へと受け継がれ、役所からは黙認され、抵抗運動が起き、その間にも様々な人々が犠牲になった。やがて見かけ上の「平安」が訪れ、普通の人々による普通の生活が、情けも無しに死んでいったタコ達の酬われない思いの上に展開される。

 私は幽霊とか残留思想とか、見えないし聞こえない。けれども。
 雪深く埋まった山の影、点在する寂しい光を放つ家々。人影のみ蠢く駅舎。虚ろな瞳の乗客達。一人まどろむ初老の旅行者。
 ただ線路の上を虚ろな音を立てて走り続ける、電車。外と中とで隔てられた無音の空虚。じわじわと浸食してきそうな、外の白。


 思い返すだけで、少し身の縮む思いがするのは、何故だろう。何故なんだろう。