全ては永遠の仔ですよ


 どうもこの本についての意見で私の価値判断は猛烈に狂うようです。まるでハンドル。どうもね、あの手のミステリーに求められる「お楽しみ要素」に言及されちゃうとね、「そんなの大した問題じゃねーだろがぁ!」とおもってしまう訳ですよ。あの話は含まれている部分が余りにも多い。多すぎる。



 虐待を受けた子はその事実とある程度向き合わないといけない、ってのは、この虐待は下るからです。下の世代に下る。理不尽な扱いは、受ければ自分もやって当然。傷口は新しいからね。ちょっと厳しい教育受けてただけだろ、くだらない。ってのも過信です。時には殴られないと子供は良い子に育たないよ。そら当たり前。そんなんじゃなくて、虐待に特徴的なのは理不尽な怒りと殺意を、多分その時点で一番愛している人から暴力という形を成して向けられている事。私はある程度確信を持っているのですが、親にあれだけ憎まれた瞳を向けられるのは傷跡がエグい位深いものになります。吸い込まれそうな憎しみです。


 体は傷口を隠す。防衛反応が脳内で繰り広げられる訳。最悪の場合、忘れてしまう。でも核は覚えてる。多分、自分は存在すら否定されているんじゃないかという、想い。野放しにしてると痛すぎる、そして野放しのままの人が余りに多い。ま、そういった理由付けたり付けなかったりの判断は簡単、拒否されても構わないけど、少しでも気付けたら、凄く楽になると思うんだけどなぁ。難しく考えすぎても自分通り越してしまう。




 完璧な人間になんかならんでも良い。そんでも私は戦う項目として過去を選んだ。過去は家族全体を覆っていたし、そのまま未来につながっていたからだ。色んな身内とぶつかった。見つけたのは、新しい事実なんかでなく、身動き出来ずにうずくまっている小さな私だけだった。




 あの話には色んなものが詰まっています。「もっとほわんほわんした話が読みたいなぁ」と、序盤だけ読んで突っ返してきた子とは絶交しました。流石に今はあの頃より大人になったし、何より一人じゃない。本当の意味で、全て受け止めてくれた人が側にいる。




 それでも私の中には小さな子がいて、未だに時々出てきては泣き叫ぶのです。


 大人の勝手でつらい目にあってる子供の話にふれると頭に血が上る。何をしでかすか分からない。その手の職業は、到底やれたもんじゃない。




 作業療法士を諦めた一番の理由。