九の場合(2)


 絵は、弟にとってだけでなく、俺にとっても一種のステータスだった。家族の誰にも教えていなかったが、高校の途中から、つまり弟の「それ」が発覚してからは、俺は美術という名の絵描きグループに属するようになっていた。
 何故俺たちは絵を描くのか?文字を書くのは何となく分かる。単語を発音する為に声帯が発達したのも分かる。両者にはコミュニケーションの確立という、明白な根拠が在るからだ。
 では何故人は絵を描くのだろう。象形文字の様に、絵から発達した文字もある。古代の人間は壁画という名のコミュニケーションが主流だったらしい。メッセージ性のあるものから、宗教的意図を含むものまで、用途はそりゃもう様々だ。しかしいつの間にやら人間は、ルネサンスとか言う訳の分からない時期を迎えたりなんかして、生活の中の絵を抽出して芸術という具体的じゃない概念へと移行させてしまった。
 俺は色々な美術展を巡った。リアルな人物画とか、とてもじゃないけど本物に見えない風景画とか。モネが好きだって奴は多い。ピカソの絵は訳が分からない。ルノアールの風景画は燃える様な筆遣い。ダリのひん曲がった時計はミヒャエル・エンデの世界に似ている。
 絵は芸術。俺は色々な映画をあさった。ハリウッドとかで良くある娯楽映画じゃない。ミニシアターで上映される名もない監督の映画。ゴダールのレイトショー。キュービックのホラーは若干趣味で。



 不愉快だった。何もかも不愉快だった。どんな絵も、写真も、実写フィルムも、弟の見ているものを素通りする。弟の絵は何よりも現実に近かった。現実とは混沌だ。抽出しなければ情報は解析できない。つまり弟の目を通して表されるのは混沌だった。ありとあらゆる時が詰まっていた。だから俺は見る度に目眩を起こしそうになる。美術展に赴き、そこに展示された情報を消化し意気揚々と帰宅する俺の自信をいくらでも打ち砕いた。一瞬でも解答に見えたものは弟の絵の前では余りに微力だった。俺は打ちひしがれたぼろ雑巾のように萎びているしかなかった。
「八島君は、絵のほうには進まないの?大学できちんと学べばいいのに」
 先生の言葉は善意だ。俺は虚しくかぶりを振った。先生は知らない。俺がどれだけ希望にあふれてキャンバスに描き始めるかを知らない。結局弟の絵には到底到達出来ず、挫折を繰り返し傷だらけになっていく事もしらない。どれだけ俺が惨めな気持ちで表彰台に上がるかなんて、微塵にも感じ取る事は不可能だろう。
 弟の絵を理解するには弟の目が必要だった。分かってた。それでも頭ごなしに否定した。絵を描くな、と怒鳴った事もある。
 無力だからこそ弟を孤独の中に放置する結果に向き合えずに、あの頃の俺は何度でも、壊せる訳もない壁にぶち当たっていた。弟と向き合うのではなく弟の絵と向き合うことで無謀な戦闘をひたすら繰り返していた。