日光男体山


 あれはすごかった。


 日光、特に奥日光ってのは、小学生時代に限って毎年冬に来ていた所で思い出深い場所でもあった訳です。くねくねとしたいろは坂を通り、氷付けの中禅寺湖が見えてくると、あぁ、ここまで来たんだなぁって。隣には白く静かにそびえる男体山。何とも言えない威厳を誇る土地です。


 そもそも中禅寺湖近辺は、遠い昔は女人禁制の神聖な土地であったようです。その他に馬や牛もだめ。無理矢理入ってきてしまった巫女や牛は、その場で石になってしまった、とかいう笑えない伝説があるようです。中禅寺湖に向かうバスの停留所名の中に「馬返し」というのがあったんですが、多分そこで馬を追い返し後は自力で歩いて行ったのでしょうね。



 何とかいう神社を通りいざ山登り開始。まだ神社っぽさが残る石段に男性が座り込んでいる。
「四合目で無理でしたよ…引き返してきました」


 早くも雲行きが怪しくなってきた。



 地図を見る限り男体山の登り方は間違いようもなく直登。それは分かっていたのですが、神社の石段が消えた途端現れたそれは、登る時間が過ぎる程、言葉を失っていきました。足場は泥で悪く、森の中という雰囲気なのですが、大切な部分でこの森は間違えている。



 何この傾斜。


 何このアキレス腱の伸び具合。


 なんでこんな急斜で元気に木が生い茂ってんの。



 後にYさんの語った所によると、久々に自問自答の世界に入りかかっていたようです。何で金かけてこんな辛い思いしてんだろう。てか自分何やってんだろう。山登り自体の目的を探し出し始めてる時点でおかしい訳ですね。

 あの傾斜はおかしい。



 それでも何とか登りきり、何故かアスファルトになった三合目を通過し、四合目に到着した時点ではコースタイムの半分。順調。ここから徐々に岩場が増えてきます。



 足場が泥から岩に変化した訳ですが、やっぱり変わらないものってあるよね。



 何この傾斜。


 何このアキレス腱の伸び具合。



 そろそろ、山頂から下りてくる人々に会う機会が増えてきます。



 …何でこの人たちこんなに目が虚ろなんだ。


 

 今回の山行は、自分的にもかなり頑張っていたと思う。少なくとも体力も脚力も驚く程順調だった。



 七合目までは。




 上に行くに従い大きく巨大化する岩。岩を渡り歩くでなく、よじ登る事でしか先に進めなくなってくる。全てが足にのしかかる。自分の力だけでは乗り越えられない岩が出てくる。手を引っ張ってもらってやっとの思いで着地。しかしまだ先は長い。そして再び巨大すぎる岩の出現。



 八合目まで来た時には、精神がかなりやられていた。励ましてもらいながらラーメンを食べ、再び頂上を目指す事を決意した。時間は三時をすぎた。ぎりぎりの選択になりそうだ。山は日が暮れると闇に飲まれ大変危険だから。




 歩き出してみると、自分の足が最早数歩も登れなくなっている事を思い知らされた。



 泣いた。





 今から考えても、あの棒のようになった足は一つの選択肢だったように思う。下山すると五時半だった。夏だからまだいい。後一ヶ月もすれば大分暗くなってくる。あれから頂上を目指し帰ってきたら間違いなく六時半を回った。何より私の足が限界をゆうに越えていたに違いない。



 男体山は死者が出る山です。闇に飲まれ道を無くし彼らは帰らぬ人となります。


 下山途中、太陽がオレンジ色を帯びる頃、道無き道をかき分けていく女性を見かけました。ふっとそちらを見るとその人はかき消えていた、まるで始めから何も存在していなかったかのように。




 それが錯覚だったのか、それとも本当に見えていたのか、分からないけれども、少なくとも言えるのは、山はそういう場所だという事です。人の近くにありながらとどまる事は許されない。刹那的に通過していくだけで多大な印象を落としていく。時に自分自身すらも。



 何度挫折しても何しても、やはり私は山を目指すんでしょう。