秋になってきたの


 コンビニにホットレモンが売ってた。チョコレートの種類も増えてきたし。何か眠いし。



 秋って心地よい寂しさがあるからよい。



 私は知らぬ内に性善説に立って物を見るのです。理屈はない、よって理由もない、私の魂の状態が、無根拠で生き物の善を信じてる。だから憎む事はない、個人的に軽蔑という手法で生き物の枠から除外する位で。



 存分に人間の愚かさも罪も分かっているつもりだけど、そんな中でも姿勢を崩さずに生を見つめられる奇跡をただ信じている。処世術を持たずただ無性に誰かを信じる姿は馬鹿馬鹿しいし鈍感に映るけど、遠藤周作さんが繰り返し書いたガストンや森田ミツが何故人々とすれ違った位で大きすぎる影を落とすのか。何故私はその姿を忘れられないのか。



 私がこの前見た映画やその近辺の出来事に心動かされるのは、自分も彼らの力になりたい的な無意味な善意で作られた偶像を持っているからではなく、米英はもっと軍隊を派遣すべきだ的な現実味のない議論をしたいからでもなく、かわいそうな人がいるんだって涙を流したいからでもない。虐殺する人を悪に見立て反発する人を正義にしてハラハラドキドキと見守りたい訳でもない。



 現実とはそうなのだ。



 流血にまみれ心は荒みそんな世界しか無くても、皆確かに誰か大切な人を愛してると思いたい、それは聖人じゃなくたって出来るでしょ?例え奇跡が起こっても起こらなくても、そういう人たちの思いは確実にあるのだと、それを信じるだけで後の世界は、子供達の世界は、少しでも良くなれるのでないか。無謀にもそういう風に願うのです。