優先席の持つ意義


 昨日あった一こま。やっぱり書こう。


 昨日も胃腸炎の延長線上でやはり少し体調が悪く、席が空いていなかったので優先席に座った。満員電車で立ち続けられるような状況ではなかったのは確実だ。薬の効力もありそのまま眠ってしまった。



 足の不自由な人がいたらしく、誰かが席を譲った。聞こえよがしにおばさんが言う。「そうよねぇ、優先席ってのはそういう為にあるんだものねぇ。若い人が寝てる為の席なんかじゃないわよねぇ」



 うん。そうか。優先席ってのはご老体だったり、明らかに体の一部に不自由があったりした時の為のものか。目立ってお腹が出てきた妊婦さんの為のものか。若く健康な人が刹那的に立っていられない程の苦痛を味わっていたとしても座る事は許されないのだね。例えそこら辺で貧血のため転がっていても優先される事はないんだね。



 そんな社会だったらほんと、目に見えてる事しか真実とは呼べないなんて、想像力が足りないとかそんなレベルじゃねぇ。ただのアホだらけだ。ピースメーカーしてる人だって目には見えないから優先されない訳だし。わざわざ携帯の電源落としてる区域なのに意味がねぇ。


 声を大にして反抗した所で虚しいだけ。凄まじい貧血でフラフラだったらシャウトしていたかもしれないが、そこまでではなかった。だからと言って座り続けるのも何か違うと思った。目の前にお婆さんがいたから。だから次の駅でおりた。各駅に乗り換えて座った。途中で完全な腹痛に襲われた。


 ああいう人には分からないんだろう。心の病気で苦しむ事も目には見えない所でいくらでも生死をさまよえる事も胃がなくてヘロヘロの人がいる事もガンを告知されたばっかりの人がいる事も何も分からないのだろう。世の中には子供がいて老人がいて五体不満足の人がいて惰性の固まりのような若者がいるとかそれ位の認識しかないのだろう。そう思えるあんたは幸せだ、世の中の構造が簡略化されてこれ以上なく把握しやすくなっちゃったな。しかし私は誰よりもあんたの愚かさを感じている。残念だけど確実に貧しい人だ。