自分の中にある人々


 普段私は私が大好きだが、どうやら嫌っている私もいるらしい。というのはブログ書いてて気付いた事ではある。脳内では様々な感情を司る部位があり(たしか)、そいつらがうまい具合に連絡を取り合って一個の人格を構成しているのだが、そいつ単独に限っては、他の奴等から離れ独自の思考を展開するのが得意らしい。



 そいつらが統合出来なくなり一個一個が分離して存在し始めるのが多重人格だ、と勝手に認識しているのだが、これは特に特殊な病気でもないのじゃないか、その軽い症状は、普通に生きていてもスルーするにはあまりに強烈に存在する気がする。そして理由が在る限り気付きにくい。



 私は結構、ほっといても幸せに生きられるのだが、それが主格とすると、時折影も形もなくかき消える事がある。誘発する原因は確かにあるのかもしれないけど、そういう時に限って、普段は考えないような思考回路が展開される訳で、ただ単純に、自分の中で違う感情が通り過ぎていったとも思えないのである。



 人は自分同士ですら分かりあえない。長所には、副作用のように欠点がついてまわる。混沌の中にしか、その欠点を補い、補われる関係は生まれないのではないか。だからこそ人は様々な人格を持ち、様々な他人と手をつながないと、生きてはいけないのだ。