自己分析


 友達に対する元カレさんの嫌がらせが終わらない、しかもクラス単位で拡大してる、っていうのがそもそも怒りの始まりだったようです。


 元来私は穏やかな性格じゃないのだよ。中学時代は、この世に必要ない人間は皆死にゃーいい、という作文書いて提出してましたからね。と同時に、非常にリベラルでもある。尊敬するのは当時から、マザーテレサダライ・ラマ。破壊的な思考と行きつもどりつしてました。



 しかし現実的すぎるのもかえって危ないよね。この世界の大半は見えないもので占められている訳で、上辺だけすくい取ってたら別物になっちゃう。



 排他が行きすぎるのはいけない。理想追い求め過ぎてもそれは事実じゃない。真ん中が一番良い。




 でもね、遠藤周作さんの話に良く出てくるけど、理想過ぎても現実に変えられちゃうおばかさんのあったかさ。どうしても偏るってんなら、私はおばかなままでいい。




 怒りはやっぱりあるよ。昔Yさんが好きだった女の子の取った行動に対してだとか、Aちゃんの突然高飛車になる態度とか。でも悲しい事もあった。大抵私が怒りを感じる人ってのは、自分にとってどうでも良くない人達だ。実際自分の大切な人だったり、大切な人にとって特別な人だったり。ずっと一定の怒り感じてた子に対して悲しみ感じたのは、とうとう杞憂していた事態が起きちゃったから。それと共に下ってくる感覚に、今現在、陥ってしまっているから。つまり怒りは悲しみに連結している。私が好きな人なんだろうなぁ、皆。だから幸せになってもらいたい、でも時々間違えてる、段々腹が立ってくる。




 彼女もそろそろ幸せになるべきなのに。試練みたいなのは一体いつまで続くんだろう…