1、学校襲撃(1)


 誰がなんと言おうが篤司は先生が大好きだった。篤司はまだまだガキだから、多くの言葉を知らない、だから先生をうまく表現する事が出来ない。だからこそ、この単語に全てをかけるのだ。どんな人だったの?ね、どんな人?
「僕は、大好きだよ」


 でもどんなところが?って訊かれると篤司も返答に困る。例えば音楽室での話。昼休みになると篤司は走っていってピアノの前に陣取る。音楽室は普段は誰もいない時間帯。最近習いはじめたソナチネ、暗譜できた部分まで。目を上げると先生がいた。「うまいな」と一言呟いた。
 学校で行われる合奏では何時だって打楽器。ピアノはほかの子に取られる。いつの間にか「ピアノは〇〇さん」という、ぬぐい去れない常識が出来てる。聴いてみると大体、大した事もない。でも皆、わからないんだろう。だから篤司は打楽器。リズムを担当。マラカスを振る時はノリノリで踊る。合奏は好き。でもピアノはもっと好き。
「代田はピアノが出来たんだな。知らなかったぞ」
「はい」
篤司は照れながら頷く。
「誰にも言ってませんから」
 うん、それだけ。それだけの話。何も変わらない。先生が知った所で皆が篤司のピアノの腕を知った訳ではない。この話のどこが良いのかって?分からないかなぁ。
 例えば一年生にシャボン玉を教える先生の横顔。いつも物静かな表情をほんのり赤くさせて子供達の後について走っていた。先生の担当は理科だ。手作りのシャボン玉が校庭一杯に輝いていた。



 篤司の前にあのときの話が現れようとすると決まってママが激怒する。そして篤司を優しく抱きしめて全ての視界から遮断した。
「犯人は捕まったのよ」
夜、ママはパパに言っていた。ママは悲しんでいる。パパはママの頭を撫でてくれただろうか。
「もう、終わりにしてほしいのに!あんな、あんな事件から、いい加減篤君を解放してあげてほしいのに!」
でもね。と篤司は思う。二度と忘れられない風景も、きっとあると思うんだ。良い思いでも、悪い思い出も、振り返ると皆、篤司の周りでひしめいている。同じような顔をして。



 篤司があの時目にした光景。クラスメートの殆どが目撃した。学校に来れなくなった子もいる。カウンセラーが配置された。
 皆、元気。悪夢は未だに続いてる。それは当たり前。でも残された篤司達は皆、元気。
 一度、クラスメートの女の子とあのことについて話した。普通にそんな話になった。本沢さんっていう女の子。
「代田君はどう思う?」
「どうって?」
一応篤司は訊いた。でも分かってた。篤司達を取り込んでいた光景は一つ。悪夢でしかないあの映像にただ一つ、現実として重くのしかかってくる、光と影。
「あの時さ…」
突如現れたうごめき。刃物を振りかざし振り回す巨大な男の黒、子供達の悲鳴、壮絶な騒音、パニック。何が起きたのか分からなかった。白い壁、白い壁。
 踊りかかっていった先生は犯人の懐に飛び込んだ。篤司の座っていた席からも見えた。先生の顔。先生の声。





『小学校教員、子供を守り刺される』


『教室は血の海』


『奇跡!生徒全員無傷』




「あの時、先生は、自分から、自分の体に、刺して…」
篤司は黙ったまま遠くを見つめた。先生は自らの肉体に刃物を突き立てたまま手を離さなかった。しっかりと握りしめていた。先生は誇らしげに笑っていた、目をこじ開けるかのように見開いて。
 白い壁。白い天井。
 他の先生達が飛びかかっていく。なだれる日常。動き出さない世界。篤司の世界。



 何故だろう。
「不思議とさ、何でかな、怖く、ないんだよね」
そうだった。篤司も思ったのだ。何でだろう、何がそうさせたのか、あの瞬間、これでもう大丈夫だよ、って、先生に呼びかけていた。
 ただ先生の、ちらりと見えた顔が白くて、それで酷く、悲しくなって。
 だから篤司と本沢さんは、声もなく音もなく、立ったままただ泣いてた。泣いていた…