八甲田山死の彷徨

 何故、夏になると新田次郎が無性に読みたくなるのか…



 私が初めて、八甲田山での軍の大量遭難事件を知ったのは、中学一年の夏でした。何の予備知識もなく家族旅行で八甲田山につれて行かれ、そこで雪中行軍遭難者の銅像を見て絶句したのです。夏の八甲田山、なだらかな凸凹が重なるこの付近で、その昔歴史的寒波に見舞われた真冬に、軍事訓練と称し来たるべき日露戦争に備え雪中を無理矢理前進した217名中実に199名もの死者を出したという事件。まだ登山も一般人に浸透していない時代、多分初の大量遭難事件です。あのとき見上げた兵隊さんの像はまっすぐ前を向いて足を一歩出した状態、つまり、まるで歩いてるかのようで、像のモデルにもなった方(確か後藤さん)が全身凍り付き全く動けない状況で助け出された時の格好であったという話に、ただ得体も知れない恐怖を覚えたものです。


 穏やかな山でも常に死は隠せない。それは暗い風景を伴う事もある。けれども、晴れ渡り展望の美しかった八甲田山の頂上で、何故か焼き付いた空の色を考えてみても、当時からすでに結論は選択されていたのではないかと、思わずにいられないのです。