利休にたずねよ

 最近直木賞とった。


 千利休は美の達人だ。完璧に美を追究し尽くそうとする彼の態度が秀吉を苛立たせ利休を追いつめていく。完璧な利休はどんなにあがいても追いつけない、唯一秀吉の上を行く。時に茶を制し、時に人を人として魅了し、時に策士になる。羨望は憎しみとなり、秀吉は利休の死を望むようになる。しかし利休には、命を呈しても、どうしても美を極めなければならない、誰も知らない秘密があった…


 彼は生涯をかけて恋をした。その女は身売りされて日本にきた、美しい高麗の麗人であった。まだ利休と名乗るには程遠い、違う名前の青年は、他の男に行く位ならばと、女を殺した。彼が毒を含んだ茶を用意し、女は少し微笑んで、一気に飲み干した。自分も死ぬつもりであった。しかし、死ねなかった。どうしても目にしたい茶室があった。目の前の美しい女への想いを愛として片付けてしまうには、まだあまりに若かった。あまりに、美しいものを見たい欲求に、溢れていた。



 話には、様々な名前の登場人物が出てくる。利休自身、その身分を手に入れるまで、二度も名を変える。しかしその女に名前はない。話の中で、唯一名前のない人物。女は、彼にとって人ではない。多分利休にとってこの恋こそが、究極の美。闇を身につけた彼の内面から、女の姿を借りた美がほとばしっている。



 若い頃、自殺できなかった利休が割腹した最期の姿は、きっと彼自身が美を受け入れようとした最初で最後の決意。茶をたてた相手は、殺した女。死の直前、目の前には妻でもなく、子供でもなく、あの女がいた。結論は、決して愛ではなかった。


 恋は、美しいという。
 三島由紀夫もそれをなんとか表している。
 なんとなく、分かる。だけど分かりたくない。
 恋を最大限の美とすると、それはつきつめれば、肯定された人間は自身しかいなくなる。利休のように。つまり究極の自己愛だ。
 自分しかいない世界なんて嫌だ。



 それにしても色々考えさせられた。久々に言葉も綺麗な、良いお話を読みました。